デジタルオーディオあれこれ

半田ごての人。紙と鉛筆だけではちょっと。

スウェーデン盤のバイロイトの第九。可もなし不可もなしの予想通り。

 日本の風物詩に合わせた訳ではないだろうけど、1951年のバイロイトの第九のスウェーデン放送に残されていたテープからの復刻CDが年末に出た。大体の予想はついているし、聴くとすればEMIの数年前のフルトヴェングラー生誕130年記念のSACDとか、当時に発売されたレコードからの自録りが質的には良いので、聴くために買う価値はないと思う。少し前に出たORFEO盤との比較とか、当時の国を超えた音声回線とは如何なものだったのか、の資料としては意味がある。

 

 聴くためでなくて数字的な確認なので、基本的にはFFTで見る。冒頭には題目の説明をドイツ語、フランス語、英語、スウェーデン語でしている。英語版では、ババリヤ(バイエルン)放送が、バイロイトの会場からドイツ・オーストリア、フランス、イギリス、スウェーデンの放送局に向けてお送りします、と言っている模様。時は1951年。送ったのはスウェーデンだけかと思っていたら、フランスにも。

 

 戦争が終わってまだ六年。フランスの対ドイツ感情からすると、ちょっと不思議な感じがする。イギリスでさえも少し違和感。当時の西ドイツを、西側として双方が認めるようになったのは、ベルリン封鎖(1948から1949)がきっかけとなったという話は知っていたが、このバイロイトの中継もその延長線上で、少し政治的な意味合いを持っていたのでないだろうか。

 

 フランス側からの要望がなければ実現する話とはとても思えない。ナチスの色が濃いいバイロイトワーグナーだから。とはいえ、ずっと前に見たテレビ番組では、ワグネリァンのユダヤ人が、ナチスワーグナーという素晴らしい絨毯に着いたたった一つのシミと言ってたが。そう考えると、バイロイトの会場に乗り込んだEMIのスタッフも、複雑な感情の人が少なからずいたのでは。

 

 因みに、1947年のフルトヴェングラー復活コンサートでは、アメリカ(5/25)とソ連(5/27)の占領地区の両方でコンサートをしている。ベルリン封鎖はその一年後なので、急速に関係悪化が表面化したのだろろうと推測できる。そんな国際情勢の中でのバイロイトからの西側への中継は、やっぱし何がしかの政治的意図を感じる。戦争が終わっても、この頃の音楽家には、まだしがらみがまとわりつく。

 

 なのでフランスとイギリスでも、ラジオの生中継が放送されたのでないだろうか。テープを残したのはスウェーデンだけだったが。でも正確には、長期保存したのはテープではなくてラッカー盤だったと思う。冒頭の四か国語のアナウンスで、たぶんフランス語の所だと思うけれど、レコード特有のクリック音が入っている。

 

 うちにある音源の中にも、アンペックスのテープが使われるようになる以前に、アセテート盤をコンサートホールに持ち込んで録音したというのがある。1941年の真珠湾攻撃の年のワルターの「フィデリオ」。ドナルド・キーンが生で聞いたという曲でないだろうか。これはRCAの録音で、ライナーノートにしっかりとそう書いてある。但しCDではなくてレコードで持っているので、再生した時のクリックと元々のクリックとの区別がつかない。

 

 今回のスウェーデン盤はSACDなので、元々あったクリツク音のみ。ただまあ絶対確実ではないので少しマメに追って行ったら、第四楽章の三分あたりにハッキリとした跡が残ってた。

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 四個のクリック音が、1.8秒間隔ぐらいで並んでる。1.8秒とは、毎分33回転の事。原盤に少し大きめの傷がつくと、一周するごとにクリックが入るので周期的になる。レコードを聴いている時、プチッという音が周期的に出るのはその理屈。こんなインパルスのように広帯域に亘るノイズは、原盤の傷以外では考えにくいし、更に周期が毎分33回転となれば、もう答は一つしかない。必ず一度はラッカー盤に記録している。

 

 推測するに、当時のテープは高価だったので、長期保存用としてはラッカー盤に刻んでしまい、テープ自体は他の用途に再利用したのでないだろうか。この時代の録音の中には、そんな経緯のものが他にもあるかも知れない。うちではレコードでしか買わないので、今回のような場合を除いては事の真偽は分からないけど。

 

 そんなオタク的興味を掻き立てる痕跡の他は、だいたい予想の範囲だった。録音自体はORFEO盤と同じ物で、本番かリハーサルかという話ならば、EMI盤ではなくてこちらが本番の演奏。バイエルン放送に残るテープがORFEO盤の元なので、既にそれはほぼ間違いのない事実ではあったと思う。今回で完全決着。どちらを聴くかと言えば、EMI盤の方だけど。

 

 いきなりラッカー盤に刻んだのでなくて、一度テープに録ったのを後からラッカー盤に移したんだろうと思う。ハムの跡は一本しかない。テープに録った時に入った物だと思う。テープはバイロイトではなくて、スウェーデン放送の会館にあったと推測する。ORFEO盤も、会場にあったテープで録ったEMI盤に比べると、明らかにバイエルン放送までの回線の影響を受けたように、狭帯域になっていた。

 

 スウェーデン盤は、ドイツ・オーストラリア放送経由という事で、更にもう少し狭帯域になっている。こんな具合。想像だけどオレンジのような特性の回線だったのでないかなあ。

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 放送局が音声を送る時、昔は特別な場所でなければ今のような高速回線はないので、基本的にはNTTから臨時の回線を借りて、放送局までつなぐ。映像の場合は中継用の小型送信機と受信機を使って、最寄りのNTTにつなげて臨時回線で放送局までもってくる。借りる時間が短すぎて、途中で切れてしまうなんてことも時にはある。映像はまだ良いのだが、音声は冷遇されてるので音質もかなり落ちたのが普通。

 

 日本の1980年代の音声の臨時回線の質はお粗末の限りで、公称で4kHzだけど実際は3kHz程度だった。昔のダイヤル式の電話で市外通話すると、音は小さいし質は悪いし時には他の通話と混線したりもした。あの程度の質でしか送れなかった。大都市ならばなんとか手はあったかもだけど。

 

 特に問題なのは低い方。市外線は周波数多重で沢山の回線を確保するので、かなり急峻なフィルターが入る。周波数多重の都合上、100Hzぐらいから切られてしまう結果となる。今回のSACDも、おそらく低音側はかなり切られていると思うので、冒頭の拍手の所から上のような特性だったのだろうと推測。勿論、確実ではないけど。

  但し、日本の80年代の実情からすれば、1951年にスウェーデンまで引っ張ってこの特性は上出来。放送局間の専用回線とは思えないので、NTTに相当する電話会社の国際電話用の回線とかでないかなと思う。イギリスまでだと、海底ケーブル通ってだろか。詳しく見ると、音楽とは無関係の成分が乗っていたりして、はるばると長い旅をして辿り着いたんだろう的な特性になってて、面白い。

 

 ORFEO盤はかなり特性を触っていて、あまり好ましくない。元に戻せる程度のものではあるけれど。スウェーデン盤は、元の質ではORFEO盤よりも距離の分だけ落ちている。でも何もせずにそのままデジタル化したような感じなので、ORFEO盤をそのまま聞くよりはより自然かなと思う。心眼でというか心耳で余計なノイズを取り去って、無くなっている所は補う事が出来るならば、バイロイトの本番の演奏の再現が出来る。EMI盤の方が楽、というのが個人的感想。バイロイトの事はこれで終り。1942の第九は、キッテルの事は夢のまた夢で、五里霧中。