デジタルオーディオあれこれ

半田ごての人。紙と鉛筆だけではちょっと。

バイロイトの第九。フルトヴェングラー色々。

 2008年に今のオーディオ部屋付きの家に引っ越してから、部屋の内装と共に電子機器の方も色々と作り直し、2015年頃からは取り残されていた最後の抵抗勢力の一掃にも着手。つまりは音源。例によって、レコードの時代が過ぎ去ってからは暫くCDを買い、再生環境が良くなるにつれCDの不自然さに嫌気がさして、確率的には不自然感のないSACDとか流れ始めたハイレゾ音源にも手を出した。

 

 そして最後の積りで、捨てずに持っていた80年代前半ぐらいまでの国内販売のジャズレコードのデジタル化を始める。ADCはDAC開発用のを流用して。思っていたよりも高品質で取れたので、ならばとクラシックの中古レコードもe-BAYで幾つか試した。例えば、エソテリックのSACDシリーズのおバカな値段でオークションに出ている、ケルテスの「新世界」とか。

 

 これはデッカの60年代初めが初出で、オリジナルよりもスピーカーズコーナーからの復刻盤の方が品質としては上で価格は安い。個人的意見として。これも上手く行った。RX4という音声処理ソフトを使えば、何度も何度も繰り返される「渾身のリマスタリング」とか「最新デジタルリマスタリングで蘇るなんちゃら」に迷わされる事もなく、自分ちの環境で最適なマスタリングが自分で出来る。マスタリング地獄からの解脱にはこれしかない。

 

 そのうちに50年代のモノラルとか、30年代のSP盤にも手が伸びて、これもまた自分ち専用のマスタリングだから、気に入るまでやれば良くて市販品とは比較にもならない程に音源の質が向上。編集ソフトもRX4からRX7のadvanceにまで進化。これを使えば、50年代中頃以前のモノラル盤も、全く問題のない状態で中古レコードから板起しが出来る。例えば、なにかとマニアの間では未だにあれこれと話題の尽きない、1951年のバイロイトフルトヴェングラーの第九。

 

 知らない人は全く知らないが、これは2007年ぐらいにORFEOからもう一つの録音テープから作ったCDが発売されて、それまで第九の至高と言われていたEMI盤との関係は如何と、随分話題になった。その頃はまだ音源作りしていなかったので、それを知ったのはEMI盤の板起しを始めた2015年頃だったけど。

 

 歴史的事実として、この演奏はORFEOが発売したCDの元になっているバイエルン放送に残っていた生中継の時のテープと、ずっと神と崇められていたEMI盤の二つが存在していて、どちらかが実際のバイロイトのフェスティバルでの本番で、もう一つはリハーサル(ゲネプロと言うらしい)であるとの事。大人の事情として、双方が自分達のが本番だと言っている。

 

 その昔ドイツが二つあった頃、私はドイツが大好きなので二つあってくれて嬉しいという、いかにもなフランス風味の皮肉があったけど、取り巻きでないのならば、利害関係がないのであれば、文字通りの意味で二つあって嬉しい。二つも残っていてとっても嬉しいよ、というのが大方の意見だとは思うんだが。

 

 そして今年の暮には、スウェーデン放送も生中継のテープを保存していたことが判明して、そこから作ったSACDも出る。という訳で、ORFEOの余震みたいなのが起きると思う。うちには、EMI盤の本家ではないけれどドイツ発売のレコード、生誕125年記念のSACD、いわく付のORFEOなどがやっぱりあって、音源としては初版に近いドイツ盤をデジタル化して聞いている。古い記録を調べてみたら、2015年の事。

 

 デジタル化に際しては、幾つかの音声処理をする。中古レコードなのでまずはクリック音の除去。スクラッチノイズの低減。電源のハムの除去など。これらはデジタル処理なので、すこぶる高品質。例えば、ピッチを変えずに曲の長さの調整なども出来る。アナログ的にはあり得ない。速く回せば再生時間は短くなるが、ピッチは高くなるので。デジタル処理であれば周波数領域に転生させてから処理するので、時間軸領域に戻ってきた時にもピッチはそのまま。こんなの朝飯前。

 

 バイロイトの第九のハム処理をしている時、ある事実に気が付いた。オリジナルのEMI盤と、そのコピーを元にしているドイツ盤とではハムの痕跡に違いがある。青がEMI盤で白がドイツ盤。ドイツ盤は三本あって一本多い。あまり気にも留めなかったけど、ある時これはダビング回数の違いでなかろうかと思いついた。本家のEMIはドイツ向けにテープを渡す時、当然コピーを送る。なのでドイツ盤はEMI盤よりも一回だけダビングの回数が多くなるはず。その結果として、ハムの痕跡が一本増える。

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 当時のテープは回転数を電源周波数に依存している。1970年代初めぐらいまではそういう仕様で、「カンターテドミノ」の録音に使ったテープが民生品としては電源依存から解放された初めての機種のはずで1970年代半ば。プロ用はもう少し早いかもだけど、プロ用機器の更新は思っているよりもずっとノロいので、現実としては民生品と大して変わらないと思う。

 

 そして当時のモノラルテープはあまりアイソレーションが良くなかったようで、必ず電源周波数が漏れてきて音楽と共に記録されてしまう。ステレオになってからは、こういう漏れは見た事がないので、モノラル特有の現象。技術的にはあり得る話だが、幾つかのウラを取る必要もあるので色々な実例を調べた結果、矛盾する事例は全くなくて、ダビングの際に一本づつハムが増えるのは間違いがないと分かった。

 

 これはアメリカのRCAが出したバイロイトの第九。アメリカは60Hzの国なので、新しく四本目のハムが入っている。つまり、EMIがオリジナルからRCA向けのテープをダビングした際に、ドイツ盤のように三本目が入り、それを受け取ったRCAはおそらく音質に不満でイコライザーを一度通して再録音(ダビング)したらしく、その時にアメリカの60Hzのハムが四本めとして入ったと推測できる。青がEMI盤で白がRCA盤。  

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 他にも実例は沢山あるのだけれど、これを元にしてEMI盤の来歴を追いかけてみると、ORFEO盤との意外な関係が見えてくる。まず最初の疑問は、何故オリジナルである
 EMI盤にはハムが二本あるのか。これはつい最近RX7で取り直したEMI盤とORFEO盤との比較。

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 このハムの周波数は、基本的には録音した時の電源周波数の記録。何故それが全部違う周波数になっているのかは、当時の電源事情が関係する。ORFEOの49.9Hzは、たぶん正しくない。これはきっと、再生装置は当時の物としても、今の正確に50Hzになっている電源で再生したと思う。でも録音当時はもう少し低くて、おそらくEMI盤の49.4Hzぐらいでなかったかと推測する。あくまでも想像。負荷が重くなると、発電機の回りが悪くなって、周波数は少し下がる。今はそんな事ないけど当時はね。

 

 なので大抵の復刻CDはピッチが高めになってしまう。「渾身のマスタリング」したのかEMI盤は正しそう。どういう根拠でこの周波数になったかは定かでないにしろ、49.4Hzは正しそうな雰囲気がする。そしてEMI盤では基準の440Hzは438Hzぐらいになっている。ORFEOは早回しだから442Hzぐらい。しかし、ならば二本目の48.6Hzとはなんぞや。これは常に出ていて音楽成分でないのは確か。

 

 そこで良く見ると、ORFEOには一本しかハムがない。FFTを見慣れていないと、素人がレントゲン写真見るようで、何が何だかわからんかもだが。両者を矛盾なく説明できるのは唯一つの仮説。ORFEO盤は生中継したバイエルン放送内にあったテープで収録した後、二次使用はしないという契約だったようで、そのまま倉庫行きして2007年まで眠り続けた。一度もダビングしていないので、ハムは一本だけ。二本のEMI盤は、バイロイトの演奏会場に置いたテープで取った後、イギリスに持ち帰り、何故か多分イギリスでダビングをした。イギリスの方が電源事情悪かったのかは定かでないけど、48.6Hzはかなり低い。バイロイトでのダビングではないと思う。

 

 どっちが本番かというどうでも良い話の上に、屋上屋を重ねるが如きなのが、足音論争。このバイロイトの日本発売のレコードには、一楽章の前にフルトヴェングラーが会場に入って来た時の拍手と足音が入っていた。他の国のにはなかった。この足音は本当に本人のものなのか?、というのが実はかなり真剣に論議されている。未だにね。仏様ならば仏足というのもあるし、ティラノザウルスならば足跡の化石にだって価値はあるんだが。なので東芝EMI盤のSACDには足音も入ってる。

 

 この足音を解析すると、これはおそらく当日の本物であって、EMI盤のオリジナルテープはこの足音から始まっていて、各国に送ったテープにも入っていただろうと思う。日本だけがそこも含めて発売した訳だが。理由は、足音にも同じ周波数で二本のハムが入っている。ここにも同じ周波数を二本入れるのは現実としては中々難しくて、あり得るシナリオは元のオリジナルに既に入っていたという仮説。それ以外ではわざわざ足音のために難しい事をするとは思えないので。

 

 残る問題は、何故にEMIはダビングをしたのかという点。そして、では元のオリジナルは、つまりはORFEOのように一本だけのハムのテープは何処に行ったのか。ここから先は、ほぼ100%の事実と80%ぐらいの推測の話。100%の方は、EMI盤には二か所でORFEO盤が使われている事。三楽章の9分16秒から10分50秒ぐらいと、15分27秒から16分06秒には、ハサミ編集で文字通りにORFEO盤と同じ演奏が使われている。

 

 RCAのような電子編集をすると、ダビングする事になるのでその時のハムが嫌でも録音されてしまう。当時の電源事情からすると、周波数はその日次第なので過去のハムと一致する事はまずない。なので一本増える。EMI盤の編集点では、驚いた事にハムは一本だけで、尚且つ中身は違う演奏であるORFEO盤に差し替わっている。しかし、検証するのであれば、これは好都合。両者が完全一致している事は、目で見ればハッキリ分かるので。なので100%確実。編集した所ではハム一本。イギリスでのダビング時のものと考えられる48.6Hzはない。

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 こんな微妙な差の周波数を識別するには、FFT正確にはDFFTの解像度を少し上げる必要がある。その短所として、反応性に難が出る。上の図のような設定だと、少なくとも五秒は必要で、十秒は欲しいのが本音。つまり、編集範囲が五秒ぐらいだけしかないならば、見つけるのはまず無理になる。十秒あれば何とかなる。そして同様の理由で、何処から編集が始まって、どこで終わったかもハッキリとはしない。

 

 今回は幸運にも差替えはORFEO盤であると分かったので、両者を比べればかなり正確に編集点は分かる。そのためには、このDFFTを時間軸上に展開したこんな図が便利。真ん中の9分16秒ぐらいからEMI盤はORFEOに切り替わるので、それより前の緑線の所では両者は違う演奏で、楽器の出だしに差がある。聞いては分らないだろうけれど、百聞は一見に如かず。見れば歴然。ORFEOは回転数が少し早めなので、それはEMI盤と同じになるように調整してある。編集点以降は両者は同じなので、赤線の所のように一切ずれは出なくなる。この状態が10分50秒ぐらいまで続く。

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 下の図で、10分50秒ぐらいまでは緑線のように両者は完璧に同じ。ここをを過ぎると、赤線のように、もうすぐにズレが出て来る。人が演奏しているので、違う演奏であれば必ず差が出る。当然、ここ以降は元のEMI盤の二本のハムに戻る。10秒おき位にハムの状態を確認していくと、結局EMI盤には100%確実な三楽章の二点と、80%以上は確実な四楽章の9分49秒から10分1秒までと、一楽章の36秒から55秒までが編集点で、前者の三つにはEMIが持っていたORFEOと同じ演奏(本番)の録音テープが使われていて、一楽章には行方知れずのEMI盤のオリジナル(ハム一本)をハサミ編集で使ったと推測できる。それが残っているハムの跡を矛盾なく説明できるシナリオ。  

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 三楽章と四楽章は、EMIの持っていたORFEOと同演奏のもの。この二つは同演奏ながら、多分置かれていた場所が違う。演奏会場のミキシング卓の出力はまずEMIの録音機につながれて、そのお下がりがバイエルン放送曲行きの専用回線につながっていたのかなと思う。ORFEO盤にはそんな特殊事情がないと有り得ない帯域制限がかかっているので。白がEMIで青がORFEO。見ての通りで、ORFEO盤はEMI盤よりも高域を上げている。所謂、評判のよくない使い方のデジタル処理。

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 ところが8kHzを超えた辺りから先は、一気に落ちてしまう。EMIは当時の標準的な特性のまま。放送で使う場合、放送機の直前にはこういう帯域制限が入るのだけれど、録音機の前には普通入れないし、放送系の分野でないとこう言う急峻なフィルターは使わない。音声系の回りでこういうフィルターの入る余地はまずない。持ってない。ハサミ編集は破壊編集なので、ORFEO盤が無傷で残っている以上は、EMIも同じ演奏を録音したテープを持っていたとしか考えられないし、差替えた部分の特性は同じ演奏内容でもORFEO盤とは違って、EMI盤と同じ当時の常識的なもの。なのでORFEO盤には、当時のハイファイにはなりえない特殊事情があったと推測される。

 

 四楽章の編集点は、まず間違いなくEMIの持っていたORFEOと同演奏のものだと思うけど、ソプラノが歌い始める所なので、音の始まりと終わりの区別があまりつかない。なので三楽章のような一目瞭然にはならない。ハムの痕跡としては確かだけれど、時間も短いので100%確実とは言えない。

 

 一楽章の場合は、ORFEOとは一致しない。但しハムは一本で、ORFEOのような帯域制限はかかっていない。そしてハムのレベルと周波数はEMI盤に酷似している。そのような偶然は普通起きないので、これはEMI盤のオリジナルのテープから取って来たものでなかろうか、と推測する。80%ぐらいの確率で。

 

 年末に出て来るスウェーデン放送のテープが如何なるものかは興味深い。こちらは生中継はしていないだろうと思う。不可能ではなかったにしろ、放送事故の確率は高いし、音質的にも難がある。会場で録音したのを後日放送したのでなかろうか。一回だけという契約で。帯域制限がかかっているかどうかが焦点。

 

 因みに、台湾で指揮者をしているyoutuberも、バイロイトの第九のEMI盤には三楽章で二か所の編集があると言っている。上にあげた所と同じ。彼は耳で聞いて判断したのだろうから、両者が一致するのは100%確実ではあるけれど、些か不思議ではある。ハムの痕跡の正しさは今までに幾つも経験しているけど、また一つの勲章が増えた感じ。